どうも、またダラダラ始まりました。
俺も気づけば50を越えて、いわゆる「中年」ど真ん中に突入しているわけだけど、最近やたら自分でも気持ち悪いなと思う瞬間がある。
──それは「ときめく」という感情がまだ生きてること。
いや、正直、50代で「ときめき」って単語を口にするの、めちゃくちゃハズい。若者に聞かれたら「おっさん無理すんなよ」って即ブロックされそうだし、同世代からも「なに乙女かよ」って突っ込まれそう。でも、どうしても言いたい。
バイクだけは、例外なんだよ。
「欲しい」じゃなくて「ときめく」
若い頃はね、バイクって「欲しいモノ」だった。
カタログを眺めながら、「あのタンクの形いいな」とか「マフラー替えたら絶対カッコいい」とか、いちいち妄想していた。とにかく「モノ」としての魅力が強かったんだよな。
でも50代になってから、ふとYouTubeでハーレーとかインディアンの試乗動画を見たときに、不覚にも胸の奥が「ギュッ」となった。あれ、これって“欲しい”を超えてるやつじゃね? って。
で、冷静に考えたら、それはもう「ときめき」ってやつだった。
ただ、口に出すと死ぬほど恥ずかしいから、俺の中では「心がザワついた」ぐらいの言い換えでごまかしてる。
50代に残された「初体験」
思うんだけど、50過ぎると新しい初体験ってあんまり残ってない。
就職、結婚、子育て、マイホーム購入…ひと通りやった感あるじゃん。残ってるのは「老後資金どうしよう」とか「健康診断でまた引っかかった」とか、そういうネガティブなやつばっかり。
だからこそ、「バイク免許を取る」っていうのが残された数少ない“初体験”なんだよな。
50にして「まだ俺は新しいことを始められる」っていう事実が、やたら尊い。しかもそれが、ただの趣味じゃなくて、心臓をドキドキさせるレベルのやつ。──これをときめきと呼ばずに何と言う。
家族に言えないワケ
ただ問題は、こういう気持ちを家族に説明しづらいこと。
「バイクに乗りたいんだよね」って言った瞬間、だいたい返ってくるのはこの3パターン。
- 「危ないからやめて」
- 「今さら何言ってんの?」
- 「保険とか維持費いくらかかるの?」
…うん、全然ロマンがない。
俺としては「いや、違うんだよ。俺は今“ときめき”を感じてるんだよ」って言いたいんだけど、そんなこと言ったら爆笑されて秒で終了する。
だからこっそり、夜な夜な教習所のサイトを眺めては妄想してる。
「大型二輪免許・最短2週間」とか書いてあると、「俺の夏休みかよ」ってツッコミたくなるけど、気づけばまた心臓がドクドクしている。
「ときめき」は老化防止サプリかもしれない
バイクにときめく感覚、俺はこれがアンチエイジングの一種だと思ってる。
だって心拍数上がるし、脳内ホルモン出てるし、気分も若返る。
サプリやジム通いに金を使うぐらいなら、教習所代にぶっこんだ方がよっぽど健康になるんじゃね?って本気で思う。
何より、「まだ俺は何かにワクワクできるんだ」っていう自己確認になる。これ、地味に大きい。
日常の99%は、もう既視感だらけだからね。朝起きて会社行って、帰ってきてテレビ見て寝る。そんなループの中に突如として「未知のドキドキ」が混ざり込む。それだけで生活の色味が一気に変わるんだよ。
「カッコつけ」でもいいじゃん
正直、俺がバイクに惹かれる理由は、どれもカッコつけっぽい。
「風を感じたい」とか「自由になりたい」とか、思春期のポエムかよって感じ。でも、その“中二感”をもう一回味わいたいって気持ち、案外バカにできないと思うんだよな。
むしろ50過ぎたおっさんだからこそ、堂々とカッコつけてもいいんじゃないか。もう周りに合わせるために自分を削る必要もないし、見栄張っても失うものなんてほぼない。
だったら最後ぐらい、思いっきりカッコつけてやろうぜ──っていう開き直り。
まとめ:バイクは50代のおっさんの「恋愛対象」
結局、俺にとってバイクは「モノ」じゃなくて「恋愛対象」に近い。
カタログや動画を眺めてるだけでドキドキするし、夜寝る前に考えると眠れなくなる。免許を取る未来を想像すると勝手にニヤける。
──これ、もう恋じゃん。
50過ぎて「恋」とか「ときめき」とか言うのは死ぬほど恥ずかしいけど、バイクだけは例外。
いや、むしろ50代だからこそ、まだ恋できる相手に出会えたことを喜ぶべきなのかもしれない。
次に「ときめき」を感じるのは、免許を取って、初めて自分のバイクを走らせたときだろうな。
その日が来るまでは、しばらく妄想でニヤニヤして過ごすことにする。


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